333 B4: 豫算の「壁」

「拾得物と言つたつて剃刀かみそりとかシャンプーとか、シーツとか……そんなものだぞ。配布して何が惡いんだ」
「拾得物は拾得物だ。貴樣、現地ここで同じものを仕入れるのにいくら掛かると思つてゐる」
「いちいち細かいんだよ、お前は。天の惠みくらゐ感謝して受け取れば良い」
「その眞僞が分からんから申吿しろと言つてゐる……貴樣は規則も覺えられんのか。兵卒からやり直せ!」
「兵卒と言へば急にハブりが良くなつたお前の部下についてはどう說明するつもりだ」
「功績に對する正當な襃賞だ。スネイル閣下にも許可は得てゐる」
「またさうやつてスネイルを出しにする」
「『閣下』を付けろ無禮者!」
 いつそ通信を切りたい氣分だつたが、まだ話は付いてゐなかつた。スウィンバーンは少しだけ音量を絞つた。後ろで何かのファンが回つてゐる。ガレージや管制室ではなささうだ。
「BAWSはなんと?」彼は話を戾した。
「窓口は調査中とだけ。あつちのエンジニアと話をさせてくれつて言つても駄目さ。保證期間中だから修理と交換は無料で、とは言つてたが」
「やはり貴樣の部隊だけといふのはをかしい」
「またそれか。解決したんだから良いだらう」
「原因は不明のままだ。……第4隊も解析に回した方が良い」
「スウィンバーン……お前の疑り深いのは役に立つこともあるが、時としては杞憂つて奴さ。機械にはかういふ不思議なことが付き物だ」
「……」
 聲には安堵の色が滲んでゐた。何の損害も無かつたと言はんばかりだ。奴自身、少なくない勞力を拂つたにもかかはらず……。ホーキンスが重責を自覺してゐるにしても、スウィンバーンは物事の解釋に誤謬ごびうを招きかねない、能天氣な態度が氣に入らなかつた。
 他の部隊と機體を交換したら直つたなどと、どうして安心できよう? 完全にBAWSメーカーの責任であつたとしても、原因が判明するまでは誰も乘せるべきでない。ましてや作戰に投入すべきでない。結局、最後に苦しみを味はふのは、自分なのだ。
「いいか、この件は……」
 と、そこで2名の回線に割り込んでくる信號シグナルがあつた——お馴染み、ヴェスパーの「顏」だ。
「第5隊長、および第7隊長」
「はっ!」スウィンバーンは眞つ先に返事した。
「なんですか、第2隊長?」その口調は當事者を眞似てゐた。この馬鹿みたいに呑氣な聲色、平然と上官を「同化」する言動は何度指導を加へても直らない。
「本部の方でやつと『壁』の攻略が承認されました。ついてはベリウス中部に臨時基地を建設します。第5隊長、貴方には……」
「ああ、分かつてる。リストを送つてくれ」
「あとは會議で示した手はず通りに。第7隊長、BAWSとエルカノの撒き餌を忘れないやうに。また下らない折衝に時間を費やすのは御免です」
「了解いたしました——第5隊で起きてゐるバグの件ですが」
「確認濟みです。不可解ではありますが、再現ができないなら檢證のしやうが無い」
「前にもかういふことはあつたよ。急ぎなんだらう? いつぺんには處理せず樣子を見ながらやるといふことでどうかな」
「1機は本部に送らせて下さい。現物を確保したく」
「計畫に差し支へなければ構ひません」
「處理します」スウィンバーンはその場でMTの移送手配をし、隊長たちにログを送信した。このやうな卽斷は、現場が文句を付け出す前に處理してしまつた方が良い。
「スネイル、いいか?」この男は、人を呼び捨てるのが好きなやうだ。
「……なんですか、第5隊長」勿論、多忙なスネイル第2隊長閣下は、1秒も無駄にしたくない。
「お前の『事業』に口出しするつもりはないし……空いてゐるMTを回すのは構はないが、パイロットごと連れて行かれるのは……困る」
「さうですね。檢討します」
 亂入者は退出した。スウィンバーンはほつと一息吐いた。そこで彼は、通信が1時間にも逹してゐることに氣付いた。「雜事」に對してこの時間の浪費は許されない。無駄口が多過ぎた。
「つひに『壁越え』か。忙しくなるな。閣下はまたフロイト單機ひとりに突つ込ませるつもりかねえ?」
「それは直に分かることだ……とにかく、愼重にやれ」
「言はれなくてもだ。そつちは愼重過ぎると思ふがね」
「以上だ」
 スウィンバーンは通信を切つた。
 壁越えに、ルビコニアンに、ファクトリー。「壁」が年內にも調査據點になるとしたら、諸々の裝備品は今から發注しておかなければならない。皮肉な話だが、それを調逹するのは、彼が絞つてゐる輜重部門だ。コンソールのタッチパネルに觸れ、キャプチャーデバイスを初めとした在庫を確認していく。必需品を列擧するのに、さう時間は掛からなかつた。
 また吹雪や賊に遭はなければ良いが……これを補塡するための積立金は、とつくの昔に盡きてゐる。