364 B4: 敎官メーテルリンク

「3人……」
 手術が遲れたのは4體と記錄されてゐる。延期は機材の問題であつて、被驗者に異常は認められない。報吿書の備考欄には大文字でさう書かれてゐた。全員が若く、彼女とさう年齡としは變はらなかつた。
「ヴェスパー第6隊長、メーテルリンクです。あなた方は本日より榮えあるヴェスパーの一員となりました。この名に恥ぢない、安定した戰果を期待します」
 地下3階試驗場は眞新しい戰力のために、整備士やエンジニアたちが默々と働いてゐた。2脚型のMTが2機と4脚型が1機、そしてACが1機。これはメーテルリンクも初めて目に掛ける。輕量の逆關節だ。インフェクションと同樣に、パルス兵器に重きを置いた近接特化機體。頭部はあのVE-44B。第7隊長が「宣傳」してゐたパーツだ。かうしてヴェスパーACに採用されたとは喜ばしいことではないか。このところ僚機として組むことは無くなつたが、第7隊長は變はらず見えないところで成果を出してゐる。
「各位、一言づつ挨拶を」メーテルリンクは指導者から託された“バトン”を手の中に收めた。
 沈默を作らないうちに、一番近い兵士が進み出る。
「ボーガンです。本社より……ぐああっ!?」ボーガンは崩れ落ちた。脇腹に觸れたほんの先端が、彼を罰したのだ。
「返事」メーテルリンクは前夜にこのスタンバトンのマニュアルを參照したが、どの程度の粗相にどの程度の“指導”を與へれば良いか、は知ることはできなかつた。そんなことのために第7隊長を叩き起こす必要は無い。彼女は電流の量を調節しながら、膝を付いたボーガンなる第10世代强化人間を見下ろした。實踐で學ぶ。何事も同じである。せつかくの最先端戰力に傷を付けたくはないが、何も無くてはただの茶番だ。「もう一度」
「はい……はい、第6隊長……!」ボーガンは笑つてすらゐた。この程度は想定濟みか。身の程を辨へない挑戰欲か。苦境に立たされて笑ふ不協和音。第1隊長に似たものを感じた。ボーガンは本社の兵器開發部のテストパイロットとして入社し、4脚型の操縱が得意とのことだつた。
「次」
「はい!」返事は良かつた。「私は幼少よりVCPLで……」
 再び、男の悲鳴が上がつた。よく響く音だ、とメーテルリンクは思つた。「あなたは誰ですか? どこにゐるのですか?」
 レナードなる强化人間はすくつと立ち上がると、聲を張り上げた。
「私はアーキバスです! アーキバスの利益と、榮光のために盡力します!」
「宜しい」
 VCPLの英才敎育科は知らないが、プラズマ兵器の知識に長けてゐる、といふ點はメーテルリンクの記憶に殘つた。最後のひとりはちらちらと女敎官を見やつた。部隊で時々見られる態度だ。厄介な毒、感染しうる癌。治さうとする程に根を下ろし、蔓延する病。メーテルリンクがスタンバトンを振り上げると、整備士たちの眼もまた、そこに留まる。兵士たちの恐怖が、周圍にも「感染」したのだ。
「……!」
 3體目の悲鳴はくぐもつてゐた。齒を⻝ひ縛り、これ以上の無樣を演じないために、なんとか耐へてゐる。沈默のためにもう一度。途切れがちな聲のためにもう一度。金切り聲で名前を吐き出した頃には、兵士は立てなかつた。所屬を吐かせるために拷問をしてゐる、そんな感覺がメーテルリンクを穿うがつた。これが第7隊長の體驗か。
 最後にもうひと振り。だが、腕は上がらなかつた。
「第6隊長が第7隊長の眞似事か。……うんざりするな」
 メーテルリンクはぎよつとして、摑まれた腕を見た。「……第3隊長」
 特殊諜報局員、オキーフ。招集にも顏を出さない彼が、どうして……? 腕を引くと、オキーフは素直に彼女を解放した。この第2世代强化人間は、誰にとつても異質な存在だ。メーテルリンクにしても、まだそんな人間が生きてここに立つてゐることが信じられない。第9世代手術を受け、外見や機能こそ「ニューエイジ」に見劣りしないとは言へ、信用できるのか、メーテルリンクの胸中きようちゆうには疑念が渦卷いてゐる。コーラルがもたらした醜惡な世界の一端であつた男。第1隊長や第2隊長に感じる違和とはまた別の不氣味さが、彼女の知覺を刺激してゐる。大丈夫だ、これは「恐怖」ではない……彼女は自覺も無いまま、摑まれた部位をさすつた。彼はここに仕事をしに來た、それだけだ。はて、第7隊長ならどう對應してゐただらうか。彼女は努めてさう思考した。
 オキーフは膝を付いたままの女兵士に肩を貸した。
「仕事を始めてもゐない奴らをいたぶつてどうする」
「これは『慣らし』です、第3隊長」
 アーキバスといふものが解るやうに。
「責任ならそこの第8隊長に取らせろ」
 視線の先を追へば、確かにそこには現着した時からの氣配があつた。MTのつま先で端末を弄つてゐた若者だ。彼は手元の電源を落とすと、ゆつくりとこちらに步み寄つて來た。
「はっ、ヴェスパー第8隊長ペイター、ここにをります……私は第7隊長からご指示がある、と伺つてをりましたので」さうして、今日から部下となる同世代の强化人間を見た。「諸君の部隊を指揮するペイターだ、宜しく」
「よ、宜しく……」うは言のやうに返事するレナードを、ボーガンが小突いた。「お願ひします!」
「第8隊長ペイター、第7隊長の急務により、あなたの『案內』は私が引き繼ぐことになりました。どうぞ、こちらへ……」
 できればペイターの脇腹もつついてやりたかつたが、彼女は本題に入ることにした。つまるところ、兵士に要求されてゐるのは、戰鬪技能なのだ。
 第10世代の戰鬪とはどんなものか。第1隊長程ではないにしろ、メーテルリンクに自分の限界を試すことのためらひは無かつた。
 インフェクションのメインカメラから場內を見下ろすと、もう舊世代型の姿は消えてゐた。