アーキバス・ルビコン支部、カフェテリア。
「第10世代かあ」
もはや強化人間はマザーボードやCPUと同じだ。毎年のように新しい術式が開発される。置かれた年月という意味ではホーキンスもそこまで「旧い」強化人間ではなかったが、科学技術は人の時間感覚さえ置き換えた。技術革新の粋と賞讃されたかと思えば、次の日には型落ちと陰口を叩かれている。今第7世代を「買う」としたら、それは学習で蓄積された予測能力と、動作保証に過ぎないのだ。機能と知覚の時間軸——稼働年数に対して、この「時差ボケ」は割りに合わない。
それにもかかわらず、望むことは無分別だ。
「若い世代は手術痕すら判らないね」
ソファに背をもたれ、ホーキンスは皿の上のクラッカーを口に運んだ。
経口摂取に関して、強化人間は一般的な飲食物を消化、エネルギーに変換することが可能だ。だが、強化人間用の滋養剤を摂取した方が、効率的で安全な補給ができることは明白である。外観と感触に配慮したメニューがあるにもかかわらず、ホーキンスは「本物」のクラッカーをテーブルに乗せていた。他の顔ぶれがこれに手を付ける様子は無い。彼は塩の付いた指先をペーパータオルに押し付けた。
「どうなのかな、ペイター君？ 今時はそれが普通になってるのかな」
「第5隊長殿はオプションに反対なのですか」
「興味があるから聞いてるだけだよ」
「確かに医師からは説明がありました。オプションの提示がデフォルトであるなら『普通』と解釈して差し支えないかと」
肝心のペイターについて語られることは無かった。
「全く、このままだとブサイクは絶滅危惧種になっちゃうなあ。スウィンバーン？ ……いてっ」
ホーキンスが脇の仕切りに手を突っ込むと、思いきり棒で叩かれた。
いきなり叩く奴があるか、という悪態を飲み込んで、今度は向かいの席に言葉を投げ掛ける。
「君たちにもどんどん後輩が増えていくわけだ……どうだい、焦りなんかは？」
悩みなら聞くよ、と言わんばかりに彼は腕を広げた。
「焦る必要はありません」
落ち着いた、淀みの無い声だった。「機能は常に『調整』できます」
「スネイルみたいに？」
「メーテルリンク第6隊長殿は、再手術に抵抗が無いのですか？」
「再手術の成功率は既に70%台を確立しています。技術水準も上がり続けている……受けない理由はありません」
「そうか……ま、人それぞれだ」
メーテルリンクはホーキンスを見つめた。さも、なぜあなたは受けないのですか、と言いたげに。今や市場の中心である「ニューエイジ」の目からすれば、第7世代は微妙な位置にある。決定的な性能差は無いとは言え、敢えて起用する意義も無いのだ。今後数年のうちにも、再手術は当然の処置になる。とすれば、旧い世代から再手術に供されていくだろう。メーテルリンクもそれは理解していたから、第5隊長は流れに身を任せたのだ、と「確定」した。どの道その時はやって来るのだから、焦る必要も、急かす必要も無い。
誰もが等しく、新しくなる時代になったのだ。
「……」突然、ペイターは直立した。「トレーニングの時間です」
ホーキンスは笑みを浮かべた。「行っておいで」
「は、失礼いたします」
ペイターは一礼すると、隊員たちの雑踏に消えて行った。
第5隊長が大人しくなり、もう食卓にはなんの変化も無いことを見て取ると、メーテルリンクは皿を重ね、ペーパータオルで食べかすを集めた。
「第3隊長と第8隊長は旧知の仲なのですか？」
「さあね……でもオキーフはペイター君を気に入ってるみたいだ」
「……なるほど」
「君にもそういう人ができると良いね」
ホーキンスがメーテルリンクに容姿の話題を振らなかったのは、彼女の顔を知っていたからだ。それもほんの小さな頃から——まだ彼がMTを愛機としていた頃、よく写真や動画で自慢されたものだ。アーキバスで再会し、彼の手を離れてからも、彼女は実績を積み上げ、今ではこうしてヴェスパー第6隊長として、第5隊長の彼と肩を並べている。それは誰に対しても自慢できる功績のはずだ。だが、今と過去を繋ぐ交差路に差し掛かると、ホーキンスは胸を痛めてしまう。メーテルリンクは「順番待ち」などではなく、志願して強化手術を受けた。ある晩に、彼女はホーキンスのもとを訪れ、その決定を告げた。ほんのわずかな、気にもすべきでない可能性のために、彼女は「最期の」言葉を託しに来たのだ。父親の末路を知らないわけはない。彼は兵士として振る舞うべきか、人間として振る舞うべきか、選択に迫られた。だが彼の口を封じたのは、彼女だった。私はアーキバスです、隊長。
「我々は同志で、連帯の義務があります……友情とは、あまりにも曖昧で、不明瞭で、不安定です」
「そうだね」
ホーキンスは、狭まった咽頭パーツに熱いフィーカを流し込んだ。
そろそろシフトの交代時間だ。喧騒が過ぎ去り、また新たな喧騒がやって来る。ホーキンスは席を立った。横に広い身体を揺らして出入り口に向かう。
ふと振り返ってみる。彼がいた反対側のテーブルには、グラスがひとつ伏せてあるだけだった。