362 B4: 作戦室

「ホーキンス第5隊長殿から直々にご指導を頂けるとは、身に余る光栄であります」
 ペイターはうやうやしく礼をした。案内されたのは簡素な事務室で、4つの机が向かい合はされ、モニターとコンソールが乗っているだけだった。正面のブライドのひとつは上がっていて、フレームが歪んでいた。空は白く、暖かい陽気だった。
「他のスタッフは非番なのですか?」
「まあそんなところだ」ホーキンスは静かな声で言った。「君が入ってくるというんで、ふたりほど栄転してしまった」
 手前の椅子に坐り、モニターの電源を入れる。「空気清浄機は点いてるんだが、どうもここは埃っぽくてね。器官に溜まるようなら言ってくれ。その程度の洗浄費かねは出るから」
 ペイターは隣に坐って、システムが起動するのを「待った」。3世代も前のOSだ。
 ホーキンスはシステムにログインした。生体認証ですらない。パスワードは……変更の余地があるだろう。
「この前の説明はなしにもあったが、君は情報をまとめて送信するだけでなく、人選や予算、傭兵との交渉も担当しなきゃいけない。それも、出撃に関係なくだ」
「承知しております」
「水商売だからね、口が上手い必要は無いが、愛想が無い対応はどうも受けが悪い。人間ってのは正直だね」
 自分向きの仕事だ、とペイターは思った。なぜなら、彼は他人を不快にさせたことが無いからだ。研究所でも医師たちの不評を買ったことは無かったし、ここでもみな好奇心をむき出しにして彼を歓迎するだけだった。第7隊長スウィンバーンに関して言えばそう、彼は「指導」をしただけだ。嫌われたわけではない。
 ホーキンスはまず、メールを確認した。
「このスパムメールとスパムフィルターってのは何世紀も前からあるわけだが、まるで進歩が見られない」
 2日前からのメールが2千件以上届いていた。どれも独立傭兵からのメールには見えなかった——というより、区別が付かなかった。
「宣伝は全部会計部門に転送して良い。業者との契約はあっちの専門だ。逆に言うと、私たちは傭兵以外との契約を勝手に締結ていけつしてはいけない」
「傭兵とのコンタクトアドレスが漏れているということですか?」
「売ってるんだよ、傭兵が。でなきゃサーバー業者が収集してるのかもな。いずれにしろスパムメールは不滅だ。諦めるしかない。一応、傭兵用のフィルターは作ってある」
 業者は様々だ。運び屋、武器商人、人材ブローカー、エンジニア派遣、ガレージ賃貸、廃品回収、弁護士、事務代行、広告代理店、不動産屋、自由医師、強化人間専門のオークションというのもあった。ペイターは「第10世代」と検索した時に表示された広告を思い出した。術後から1年以内の第10世代の買取価格は……
「この」と、ペイターはホーキンスが開いたディレクトリを指差した。「依頼者から送信された情報を整理して、台本スクリプトを作るんですね」
 既に10件も来ている——赤く塗り潰されているのは締切を過ぎた案件だ。3件はふいにしている。そのうち、着任当日からサルベージできたのは2件だ。
「下書きは自動生成されるし、アドリブでやってくれても構わない。……あ、これが斡旋業者のリストだ。ルビコンは大体オールマインドが仕切ってる」
 傭兵支援システム・オールマインド。これを利用している独立傭兵は多数いるが、依頼対象はアリーナランク圏内のみだ。独立とはいっても全てが企業からの依頼を待ち望んでいるわけではなく、アーキバスと敵対している傭兵も存在する。
「ブラックリストの管理は作戦部門が担当している。契約中の傭兵がリスト入りしても驚かないでくれ。あのスネイルが決めることだからね」
 基本的な事務処理は自動化されていること、作戦の傾向や報酬の配分は過去のデータを参考にすれば良さそうなことを考慮すれば、ペイターに求められているのはタスクの管理と、各部門との連携、傭兵との交渉と言えた。
「君は良い学校も出てるし、元の部署でも研究所でも良い成績を残している。だが経歴を見た限り、人の上に立ったことは無いみたいだ——当たり前のことと思わずに聞いてくれ。君は、君の職権全てに責任を取る。部下の不始末や不可抗力にも対処しなければならない。マネージャーは尻を叩いてくれるが、『代わり』はできない。……どうかな、自信は?」
「問題ありません。業務は理解しました。すぐに片付きます」
 ペイターは意欲を見せたつもりだったが、ホーキンスは真剣な面持ちで彼に向き直った。「君が覚えることはふたつだ」
「まず、君の手抜かりで独立傭兵が死ぬかもしれないこと——つまり、作戦の失敗に繋がることは肝に銘じてくれ。彼らには別段目を掛ける必要は無いが、最低限の義務は果たしてやる。誰も無駄死にさせる道理は無い。優秀な傭兵はいくらいても良いんだ。とくにアーキバスは出自なんか気にしないからね。それが将来の同僚になるなんてことも珍しくない。その逆も然りだが……。みんな繋がってるってところがこの仕事の複雑で面白いところだ。
 次、これが一番重要だが——作戦内容には干渉しないこと。それがどんなに馬鹿げていてもだ。実行するのも責任を取るのも君ではない。上には上の意図がある。お節介や好奇心を働かせるのは良くない。……同様に、傭兵のやり方にも口を出すべきでない。作戦の成否を決めるのは上であって、君はその決定を伝達する使者に過ぎない。傭兵に口を利く時はとくに注意すべきだ。私たちは仕事のやり方ではなく、結果で評価する」
「分かりました」
 窓の外でブザーが鳴った。正午だ。ホーキンスは立ち上がって、下りていた方のブラインドを上げた。舞い上がった埃が、光線に照らされて可視化された。ペイターは通知アイコンの数字が59になっているのを認めた。スパムボットに休みは無い。
「じゃ、13時からシュナイダーの担当者に会いに行こう。それまで休み」
 ペイターはホルダーから端末を取り出して、電源を入れた。


「それが第10世代の? ……素晴らしい。こっちに来なさい」
 シュナイダー作戦統括部門傭兵担当オフィスの責任者、マンフレッドはペイターを手招きした。この部署の休憩時間は12時半からのようだ。中には輜重部門を待っていた責任者の他、マネージャーのエラッタと、デスクで昼食を摂っている数名の従業員しかいなかった。マンフレッドの執務室は明らかに疑似煙草けむりの臭いが染み付いており、ペイターの背後に回り込んだ彼自身からもそんな臭いがした。黒い大理石の灰皿には真新しい燃え殻があった。
「なるほど、デバイスが小型化されてるな」
 マンフレッドは無遠慮に髪をかき分けて頭蓋あたまの地肌を見た後(手術痕を探していたのだろう)、これもまた無遠慮に頚部のコネクタに触れた。
 エラッタはその様子を自らの端末で撮影していた。彼女が隊服のすそに手を掛けたのを見て、ホーキンスは大きく咳払いをした。
「私は隊長を見せに来たんだが」
 手は名残惜しく離れた。
 ルビコンに来てからのこの3日、ペイターがこういった「検査」を受けるのは初めてではなかった。触れられるのは不快だったが、さりとて拒絶する理由も見つからないまま、彼は同志らに愛想の良い最新世代を演じた。
「第8隊長、ペイターです」彼は髪を直しながら言った。
「配置が輜重部門で良いのかは疑問に思うところだな。我々としては嬉しい限りだが」マンフレッドは胸ポケットからスティックを取り出した。
「ここは禁煙です」
 ペイターは言ったが、火は点いた。
「我々はアーキバスグループの言わば先駆け。第8隊長にはぜひ俊敏で利口な戦力を確保してもらいたいですね。……貴官の任務機を確認しました、シュナイダーはきっとご要望にお応えできるでしょう。今後ともご愛顧あいこのほど宜しくお願いします」
 逆関節の三次元機動と連続したパルス攻撃での畳み掛けが、乗機デュアルネイチャーの動きだ。表面上頷きはしたが、彼は全く、構成をアーキテクトに任せていた。
「一応のところ、我々は君の指揮下に入るわけだ……楽しみにしているよ、ペイター。君の采配は次世代に響くだろう。つまらぬことで足を引っ張られないようにすることだ——そこの型落ちに」
 マンフレッドはちらりとホーキンスを見たが、旧い強化人間は肩を落とすだけだった。
「私とマンフレッドは真人間ですが、然るべき教育と実践を積んでいます。何かあれば貴官から直接連絡を。適切に対処します」
 エラッタは灰皿の燃え殻に気付くと、ゴミ箱の上で逆さにした。灰が飛び散った。「教育」を受けているという割りには行儀の悪い人間たちだ、ペイターは不穏な気持ちに取り憑かれたが、口には出さなかった。
 挨拶と案内もそこそこに、輜重部門一行は用を終えた。手土産は何も無かったが、マンフレッドは第5隊長の広い背中に釘を差した。
「くれぐれもスネイル第2隊長閣下には宜しく伝えてくれ」
「分かってる」
 オフィスのドアがぴったりと閉じると、上官はただちに、部下に警告を与えた。
「ペイター君、君はおもちゃじゃない」
「はい、理解しております」
「ならコネクタを触らせるのはやめるんだ。何か仕込まれても文句は言えない」
「……はい」
 ペイターは妥当な見解を得たので、以降、そうしないことに決めた。
 彼はなんとも思っていなかったが、上官は何やらむず痒いような面持ちで、エレベーターを下りると突然謝罪した。
「この前はすまなかったね」
 この前? ペイターが首を傾げると、ホーキンスは苦笑した。この顔はこの数日で何度も見ている。
「奴が見せてくれた予算案に『貸付金』ってのがあっただろう。これはもうすっかりヴェスパーの『資産』になってしまった……かわいそうなことをしたと思ってる」
「はあ……」
「君のことだよ、ペイター君。90はでかかったね。あいつはなんとしてでも君から取り立てようとするだろう。私は庇うことも考えたんだが……まあこれも勉強かなって」
 隊員の借入金は、会計規則から算出した割合を、給与から天引きして「返済」する決まりだった。
 ペイターは笑いを忍ばせた。
「第5隊長殿、ご心配には及びません。90コーム程度、謹しんでお支払いいたします」
 今度こそホーキンスは真顔になり、警句を唱えた。
「お客さん、1口1万コームだ」