1XXX B4: 昔話

 第5隊長ホーキンスと第7隊長スウィンバーン。彼らは年齡としも違ければ母星ほしも違ふし、アーキバスに入社した時期も違へば、配屬された部署も違つた。ふたりに共通點が生じたのは、勿論、第7世代强化手術だつた。コーラルの知覺增幅作用を人工的に再現するといふこの前例の無い試みは、當初から成否の推測が立たなかつた。彼らは「順番待ち」の兵士で、自ら志願したのではなかつた。ある日屆く本社からのメッセージ。そこには被驗者番號だけが記載され、實行の日時も、どこで受けるのかさへ明かされなかつた。スウィンバーンは幾度も自死と脫走を考へたが、しくじつた時のことが腦裏をよぎると實行できなかつた。ホーキンスは最初から死ぬつもりでゐた。ただ、どんな狀態に變はり果てようとも自意識だけは保たないやうにと、それだけ願つてゐた。
 術後、テストと隔離を繰り返し、カルテに「適合」と押される頃になつても、ふたりが互ひの名を聞くことは無かつた。彼らは一兵士であり續け、名が知れ渡るやうな大手柄は立てなかつたが、大きな失態も犯さなかつた。
 アイランド・フォーの動亂が沈靜化し、第8世代の術式が完成を見た頃、本社は强化人間で構成される精銳部隊、「ヴェスパー」の編成を決定した。それは——ふたりの邂逅をもたらしたが、同時にアーキバスの在り方をも一變させた。第8世代が舊世代型を無價値化したこと、そして當時からエリート將校だつたスネイルの手術が成功したことで、第6世代以前の强化人間はアーキバスから「絶滅」したのだ。ふたりの入隊後、第9世代手術が普及する數年の間に、第6世代以前は「調整」の供物として消費され、第7世代は部隊で最も古い强化世代になつた。
 設立當時から型落ちとなりつつあつた彼らがヴェスパー5とヴェスパー7に据ゑられたのは、實戰の經驗を積んだ「ニューエイジ」が見繕へなかつたからに違ひないが、結果的に、その人選は功を奏した。部隊といふ形態を保つ以上、ACおもてだけでなく、裏方に徹することのできる人材も必要とされてゐたからだ。人事部門は當たりを引き、彼らもまた當たりを引いた。このヴェスパーが、彼らの新たなアイデンティティとなつたのだ。


「この通りだっ」會計責任者を兼任する男は土下座して言つた。「た、賴む、見逃してくれっ……」
 調子の良い男だと思つてゐたが、プライドもかなぐり捨ててこんなことをするとは。ホーキンスは困惑した。
「あんたのやつたことは重罪だよ……100萬コームなんて、どう逆立ちしたつて補塡できない」
「だから戰艦が4機落とされたことにして……」
「できるか!」
 スウィンバーンの頭の先で、ホーキンスは行つたり來たりを繰り返した。この不正は自分が報吿するまでもなく、第2隊長の知るところとなるだらう。さうしたらどうなる? ——自明だ。自業自得だ。再敎育センター送りを口癖にしてゐる男が、再敎育センター送りになる。實に皮肉で綺麗なオチぢやないか。この男には情けを掛けてやりたいと思へるだけの貸しも無い。
 視線を上げると、眞つ赤に染まつた夕陽が眼に入つてきた。一瞬で、男がベッドに縛り付けられ、管を刺され、きらきらしたメスが肉に⻝ひ込んでいくのが見えた。
「あんたは時々部下の仕事を代はつてやつてるらしいね」
「その方が確實だからな」
「……手持ちは? 50萬なら出してやつても良い」
「助かるっ! さすがは雅量がりやうに富む第5隊長!」
 それから指示通り“トンネル”を使つて金を送つた。これがバレれば彼自身もただでは濟まないところだつたが、なんとか急場はしのげたやうだつた。彼が手の汚れた第7隊長の不正に加擔してゐるなど、普段の行ひからは誰も想像だにしなかつた。數ヶ月後、それまで普段通りに振る舞つてゐたスウィンバーンが、自販機でフィーカを買ふホーキンスにそつと近寄つてきた。メモリーチップを膝に押し付ける。「あの時の禮だ」
「要らないよ、そんなもの……俺は50萬を『あげた』んだ」
「まあさう言ふな。お互ひ、これからも世話になるかもしれんだらう? ……受け取つておけ」
 それはこれからも不正に加擔しろ、お前の不正も見逃してやる、といふメッセージだつた。「ひとつはつきりさせておく」ホーキンスは指を立てた。
「俺があんたを助けたのは、今要職が拔けると隊が混亂するからだ。ただでさへ最近は負けが込んでる……士氣を下げたくなかつた、それだけだ。手垢の付いた“報酬”が欲しかつたわけぢやない。大體それだつてヴェスパーの金なんだろ? あんたはほんとに、身の程を辨へない、どうしやうもない奴だよ」
 ふん、とスウィンバーンは鼻を鳴らした。「必要經費だ」
 前屈みになつてゐた姿勢を正し、指に挾んでゐたチップを懷に戾す。踵を返したところで、腕を上げる。
「受け取つてもらふ」
 次の月、ホーキンスの收支には「特別手當」が付いてゐた。指導補助および汎用兵器立替金……やられた。このやうに處理されてしまつては拒絶のしやうが無い。無論、會計部門に申し立てをしても良かつたし、部隊に送り返してやつても良かつたが、そんなことで藪蛇になるのは御免だ。ホーキンスは折れた。この特別手當は、彼が捻出した50萬に逹するまで續いた。それ以降は……彼がどんなに目覺ましい功績を立てても、「手當」が付くことは無かつた。