363 B4: いつものこと

「この仕事はやりがいがあるよ。なんてったって、一番忙しい部署だからね!」
 ヴェスパー第5隊長はそう言うと、新人にタブレットを渡した。
「さあ見てご覧、これが私たち輜重部門が管理している全在庫、必要なもののリストだ」
 そう説明しているうちにも、入力欄の数字が増えたり減ったり、項目の文字が赤くなったり半透明になったりしていく。物資はコンテナとパッケージに付けられた無線周波数RFタグによって管理されていた。
「問題はこれを定刻通り調達して送り出させるかってこと。じゃ、手近なところから見て行こうか」
 ホーキンスはつかつかとエレベーターに乗って5番ドックまで行くと、MTが所狭しと並べられ整備されている、中央の黒い機体のつま先をノックした。「ピカード」ややあって、男の黒い頭が、コックピットのハッチから「ひょっこり」と現れた。「大将、こりゃ間に合わんぜ」
「どうした」
「システムが……うごかねえ。エンジンもうごかねえ。OSを入れ替えてもFCSがイカれたまま……ここにあんのはガラクタだけだ」
「それと報告書レポートが上がって来ないのはどう関係してる? ピカードはどうしたんだよ!」
「あいつは腹がへ……じゃなくて、腹が壊れたんだ。いや、マジな話。先生んとこ行ってみな」それからひょいとバイザーをずり上げた。「……そこの坊やは?」
「ヴェスパー第8隊長、ペイターです。第5隊長殿の補佐官に任ぜられました」
「混沌ひしめく輜重部門に、ようこそ……やっとお上は第10世代を投入してくれる気になったんだな?」
「いや」と、ホーキンスは苦笑いを浮かべた。「彼には傭兵の相手をしてもらおうと思ってる。この仕事は『慣らし』さ」
 ピカードの代役はどうしようもないといった顔をして、再びコックピットに潜った。「『ニューエイジ』にも限界があるってこと、誰かさんにも知ってもらいたいなあ……」
 ホーキンスはドックを歩きながら、システムの説明を続けた。「発注は自動で、納品されたらこの通り輸送計画が出てくる。注目して欲しいのは『天候』と『戦闘多発地域』だな。マップに何も無かったら情報部門に確認した方が良い」
 ブザーが鳴り、外から焼け焦げた空のシェルパが運び込まれてくる。
「補給シェルパを飛ばすのは結構リスキーなんだ。回収が間に合わなかったら弾薬もリペアキットも全部駄目になっちまうし……この前なんてドーザーが湧いてたからなあ。ほんとアリみたいな奴らだよ」
 ペイターはまだドーザーを見たことが無い。ナマでコーラルを身体に入れるとは、さすが発祥の星だ。ルビコニアンの肉体は常軌を逸している——逆さ吊りにして血抜きすれば、コーラルを抽出できないだろうか?
 バッテリーを貯蔵した倉庫は、さながら図書館アーカイヴのようだった。棚という棚が整然と通路を作っている。「君、MTは乗れるよね?」
「勿論です」
「作業用は? スペックは同じなんだけど」と、ホーキンスは脇の部屋に入った。短足の2脚MTが6機置かれている。彼は手前の「E-2」と腕にペイントされた機体のハッチを開いた。
「この通り、神経接続機器ニューラルコネクタは無い。全部手動での操作だ。脱出レバーはここ。でも期待はしない方が良い。……質問は?」
「ありません」
 ペイターの言葉に偽りは無かった。彼は作業用MTを乗りこなした。子供でも乗れる機体だ。ACに乗り慣れていると、40km/hは時間が止まっているかのようだった。それも庫内で出せる最高速度で、作業している時はほとんど動かないに等しかった。ホーキンスはバッテリーのスキャンの仕方や廃棄手順、燃焼した時の対処法を教えながら、雑学も付け足した。期限の切れたEN兵器の電池パックをひとつ取る。
「大昔は機体のジェネレータから直接給電してたんだ。信じられるかい? まあ、その分弾薬費かねは掛からなかったらしいけどね」そして、変質したバッテリーの簡単な見分け方も披露した。
 また別の倉庫には、ソフトウェアのバックアップディスクが保存されていた。ACやMTのオペレーティングシステムもここにあり、無人機が配置を直したり補充したり、破棄したりしていた。ふたりはその間を縫って、使用頻度の高い棚に移動した。
「これはシミュレータプログラムのコピーだ。ほとんどはトレーニング用だが……」
 ディスクケースのラベルがオレンジ色のボックスを引き寄せる。
「こっちは娯楽用だ。一部は依存性がある。できれば世話にならない方が良い」
 次に向かったのはドラム缶の園だった。つんとした臭いが立ち込めている。缶は不規則に置かれているように見えて、実は上から見ると文字になっていた。「あーきばす」、だろうか? 子供じみたいたずら。
「ほら」ホーキンスは空色の艶やかな缶の前にペイターを呼んだ。
「これがロックスミスの色だよ」
「これが……」
 ペイターは息を呑んだ。なるほど、これも重要な輜重だ……
「どうだいペイター君、君の好きな色は?」
「透明、ですかね」
「はは……こりゃ一本取られたなあ」ホーキンスは笑った。
 洗濯室兼リネン室は室内にもかかわらず、隙間風でコートがひらひらと揺れていた。ホーキンスはドアを指差した。「これ、入力できないかな。もうずっとこうだ」だが、タブレットの「設備」のタブは灰色になっていて押せない。メインメニューに戻ると、ペイターは「汚破損状態」という項目を見つけた。選択し、チェック項目を入力すると、写真を撮るように促されたので、そうした。「報告」ボタンを押す。「完了しました」
 それから制服やタオルや寝具を確認した。これはRFタグが付けられていないもののひとつで(指揮官の位置情報漏洩防止のためだ)、管理は人間が行っているが、配給自体は無人機ヘルパーで自動化されている。無人機の業務記録は正確だったが、肝心の人間がこの記録を「修正」してしまっていた。AIはどのタイミングでいくつ被服が無くなるか予測を立てていたが、的中したことは一度として無かった。ホーキンスは取り出した上着をカゴに戻しながら、ペイターを頭からつま先までざっと見た。
「私はいつも2サイズしか見積もらないんだが、どうする?」
「着用に支障が無いならば、それで良いのではないでしょうか」
「そうかい? ……」
「第5隊長殿、これは不良品です」
 ペイターが手にしたのは毛布だった。ホーキンスはきょとんした顔をしたが、すぐに肩を落とした。
「ペイター君、それはただの布だよ」
 毛布を受け取ると、端から端まで伸ばして、スイッチの類いが無いことを確認させた。「凍結くらいは防げる」
「経費削減ですか?」
「まあ……どこぞのエースはお気に入りらしいよ」
 生産工場に行く前に、彼らは大食堂に寄って、熱いフィーカを飲んだ。厨房のスタッフと歓談してから、ホーキンスは裏手の倉庫に入って行った。ペイターも後に続いたが、収納されていたストックはふたりに縁の無いものだった。ペイターは缶詰をひとつ手に取った。桃だ。甘い味覚あじだ。「無機能の人間ヴァニティの食糧ですね」そう言って表へ戻った。
「ヴァニティね……」上官は一通り在庫を確認してから外に出た。
 雪はしんしんと降っていた。ふたりは作業用MTを30分走らせた。工場の煙突や室外機からは生暖かい空気が排出され、様々な臭いを一帯に運んでいた。
「一部の滋養剤、アルコール、燃料はここで製造している」
 ホーキンスは試験室のシャーレに乗っていた赤い物体を指ですくふと、口に含んだ。ペイターは遠慮した。
「“ミートソース”だ」もうひと舐めする。「昔は離乳食ベビーフードを固めてゼリーにしたような酷い物だった。今は最高だよ」
 夢中になって続けていると、スタッフがやって来て、それは本物だ、と告げた。
 工場地下1階の暖房の掛かっていない小部屋が、発注担当者のオフィスだった。元医師の栄養士は机に足を乗せ、鼻をほじっていた。壁の診療台のシーツは乱れていた。ペイターは気になってそっと触れてみた。温もりは無かった。
「先生」と、ホーキンスを頭を庇いながら部屋に入った。「リストがまるで機能していないみたいなんだが」
「助手が壊れちまってね」
 ホーキンスは助手の顔を知っていた。助手が発注リストを監視し、修正し、署名し、工場長から承認をもらい、送信していた。面倒な一切を引き受けていた。
「……型落ちの役立たずだと言ったのに」
 クリップボードに挟んだ手書きの紙一枚を寄越す。「あんたらが動く程度には調整してある」
「気付けに一杯」ホーキンスはリストを受け取ると、机に乗っていた琥珀色のグラスを煽った。そして踵を返す。初老の男は手を振った。「第2隊長に宜しくな」
 廊下に出ると、ペイターは渡された落書きに眼を落とした。「明らかに数が足りません」
「とりあえず、AIに修正させよう。自分の仕事を放棄する程、先生も無責任な人ではないさ……また次の助手がやってくれるよ」
 基地までの帰途、今度はペイターが先頭を走った。紅の寒空に、ルビコンの月は隠れていた。
 夜警の4脚型MTの脇を通り抜け、倉庫の前で停止する。タブレットを起こすと、メッセージウィンドウが飛び出ていた。
「ピカードからメッセージが来ています。謝罪しますと」
「『寝言は寝てから言え』と、返信しといてくれ」
 ペイターは返信ボタンを押すと、タブレットのマイクをオンにした。「『寝言は寝てから言え』!」
「……」
「送信、と」
「なかなか良い仕事をするね、ペイター君。傭兵とは上手くやっていけそうだ」
「恐れ入ります」
 ホーキンスは笑みを浮かべ、次の現場へ向かった。2時間も経って真夜中と呼んで良い頃、5番ガレージで工具の点検をしていたホーキンスはわ、と声を上げた。機体の整備記録を読んでいたペイターは顔を上げた。「何事ですか」
「しまった、予備兵器スペアを忘れていたよ、ペイター君……」
 9画9番目の棟番号は、闇に溶け込むようにしてかすれて消えていた。予備の弾薬は運び込まれた時と変わらない姿で、彼らを待っていた。これはルビコンに入植する前からある在庫だ。もし殱滅作戦があるなら使い切ってしまった方が良いな、ホーキンスはそんなことを考えながら、MTの収まったドアを、生体認証で押し開けた。照明がちかちかと点灯する。
「あれっ……こりゃどういうことだ」
 空だった。パーツのひとつさえ転がっていない。
 すぐさま作業用MTのシステムから履歴を確認するが、格納されていた機体を使用した記録は無い。
「これは……」回線を開こうとしたところで、担当者のMTがのろのろと坂を下って来た。
「隊長。奴らですよ」男は隊員とコールサインが紐付けされたリストを開き、ホーキンスに送った。「出任せの出撃ですよ……」
「そうか」ホーキンスは受け取ったデータを、自機リコンフィグに転送した。「スネイルには報告を忘れるなと言っておく」
「くそっ!」
 男の発射したライフルが虚空にこだました。ペイターは在庫欄に0を入力した。


 さて、部隊には人間関係というものがある。自分と第5隊長との関係は至って良好だ。この一夜で確固たる信頼を勝ち得たと言える。ペイターはそう結論した。ヴェスパー第5隊長であるホーキンスは古い人間で、彼のように安定した人格を持っているとは言いがたいが、上官としての感触はそう悪くない。何よりも融通の利くところが良い。部下を評するところが良い。下を視る上司に悪い者はいない。
 さて、部隊には人間関係というものがある。第5隊長の評判は、この厳格なヴェスパーにあってフレンドリーで柔和な性格で、そこそこ良いようだ……ただし、ひとりを除いて。
 第7隊長、スウィンバーン。覚醒して待ち合わせの展望フロアに行くと、ホーキンスはその名前を出した。「私たちは物資の過不足を把握するだけでなく、説明できなければならない」
「予算の申請のため……ですか」
「通らないとネジ1本発注できないからね」
「なるほど」
 兵站へいたんの確保には何が必要か。金だ。金が下りなければ何も用意できない。そう考えれば、会計部門というのは絶大な権力を握っていると思えなくもない。ペイターは数学が不得手というわけではなかったが(術後なら尚更だ)、自分の給与以外には、あまり金の動きというのに関心が無かった。
 第7隊長は会議室Cを占拠していた。壁に向かって連結された会議机に6つのモニター、通信機器、2機のコンソール。机の足元にはペダル型の入力デバイスがあるが、ペイターには用途が解らない。ドローンでも操作するのか。当の隊長の格好と来たらラフなもので、ワイシャツに腕まくりして、モニターの前で眉を寄せている。着用型端末ウェラブルデバイスという実用性よりも、ファッション性を重要視したタイプの無機能に近い眼鏡グラスは、ペイターにして、より「型落ち」の印象を強くした。おおよそ「ヴェスパーの隊長」とは形容できない有様だ。どうする。
 スウィンバーンは振り返り、新人を一瞥した。
「貴様が第8隊長のペイターか。ろくなテストも受けず良くもまあ輜重に就いたものだ」
「所定の試験には合格しております、スウィンバーン第7隊長殿」
「研究所の下らない性能テストか? ……まあいい。さっそくいい加減な仕事をしてくれたな」
「君は何かしたっけな?」
 スウィンバーンはモニターのひとつに画像を表示した。昨晩ペイターが撮影した洗濯室のドアだ。
「同じ角度から何枚も撮る奴があるか。知りたいのはこの……」棒が画面中央を指す。「破損した部分だ。全体は監視カメラで捕捉できる。それから、管理番号も間違っている。規格を見てなんとも思わなかったのか?」
「はっ、至らずに申し訳なく……」ちらりとホーキンスを見る。
「初めてだからね」上官はさらっと流した。
「遡ったが、犯人の映ったデータは無かった。貴様の部下は長いことフラグを立てていなかったようだな」
「他に大事なことがあったんだろう」
「その通りだ。よってこれは却下する。次にヘルパーがフラグを立てたら工兵でも派遣する」
 確かに洗濯室は寒々としていたが、そこで多くの時間を過ごすのは人間ではない。設備の管理は総務もしくは輜重部門の管轄ではあったが、その寿命こそが経理に直結するので、会計責任者は基地の状態にうるさかった。
 モニターを指していた棒の先が、第5隊長に向けられる。
「この男は指導に手を抜くことで有名だ。第8隊長、貴様にはこの私が作成したマニュアルを送ってやろう。第10世代なら30秒で読める内容だ。精読するように」
「了解しました」
 だが、1ページごと1秒経たなければスクロールできない仕様であることを、ペイターは知らない。
 続けて、スウィンバーンはふたつのモニターを使ってデータを表示した。「参考までに来期の予算案も見せておこう。質問があれば受け付ける。ホーキンス、貴様もよく確認しておけ。会議に時間を掛けたくない」
 ペイターが入隊してから、まだ全体会議は行われていなかった。主席隊長が出席しないのはよく知られた話で、議長の第2隊長閣下がうんと言わなければ、何事も決まらないのがヴェスパーだった。噂に聞いたところでは、ヴェスパー1は他者との意思疎通が難しい人格破綻者で、そのために本社への顔出しも免除されているとのことだった。もしかすると彼は手術に失敗した強化人間では、という想像がペイターの頭をもたげた。「ニューエイジ」、それも調整を繰り返した個体に匹敵するヴァニティが存在するとは思えない。もし彼に会う機会があるとしたら、あれこれ触れてみよう、とペイターは思った。手術痕は消せても、コネクタは絶対に隠せない。
「待った」ホーキンスはファイルのスクロールを停めさせた。“糧食”、減額された項目のひとつだ。
「生身の連中はどうする? 医者もいるんだぞ」
 ヴェスパー1もいる。
兼用食事ハーフに廃材の比率を増やすだけだ。大した額ではない」
「なんてこった。……そこまで切り詰める必要があるか? 基地の改修はもう終わっただろう」
「封鎖機構に空けられた穴はまだだ。目くらましにも少なくない電力を使っている。それに加えて燃料の高騰だ。もはや蘇生の余地の無い個体を“救助”に行く余裕は無い」
 ペイターが5番ガレージで閲覧した作戦ログによれば、スウィンバーンは2ヶ月前の“雪崩”について言及している。ヴェスパー5はその救援に向かったが、最終的に、サルベージした4体全てが「調整」の献体としてアーキバス技研センターに収容されたとあった。
暖房だんに関しては空気熱とガスでどちらが効率的か検証しているところだ。残留コーラルが上手く集まれば大分楽になる。照明も1段階落とした」
「いやあ道理で見通しが悪いと思った。寒いしな」
「調整しろ」
 ひとつひとつの“適正価格”が分かればペイターにも簡単な見積もりはできるが、その価格を弾き出しているのは会計部門だ。ある作戦、兵器、移動、細々とした日用品の採算が合わないと言われればそれまでである。燃料がと言われれば、それは基地での過ごし方を決められたも同然だ。と言っても、ペイターは自分が無駄な動きで基地の資源を浪費するとは露程も考えていなかったが。
「で……娯楽費おたのしみはちゃっかり増額してるわけか。大した会計係だよ、ほんとに」
「そう感心してくれるな、ホーキンス。戦力のパフォーマンス向上に繋がる実証データがあればこそ、この私がスネイル閣下に進言を……」
「へーえ、パフォーマンス向上ねえ。第7隊長殿が一体何を再生してらっしゃるのか教えてもらいたいもんだ」
「私は何も再生していない」スウィンバーンは真顔で答えた。
「な? 偉そうにしててもこんなもんだよ、ペイター君」彼は肘で小突かれた。「ひとりの時間が長いとこうなる」
「……」
 スウィンバーンは思考した。
 そして椅子から飛び上がった。
「きっ……きっさまあ! この不届き者、自分の目で見たことだけを言え! でたらめな風評で私の品位を貶めるな!」
「私の目で見た限り、隊長殿は火消しに必死だ」
「当然だ! 私には流言飛語りゅうげんひごを未然に防ぐ義務がある」
「何も隠すことは無いのに」
「そう、隠すことは無い。身の潔白を証明できる」
「そういうことにしておくよ」
 ペイターは自分のアクセス権限を確認している。基地の、あるいは本社の中央サーバーに保管されたVR端末の再生履歴や、刺激剤の投薬記録を閲覧する権限は、彼には無かった。恐らく、輜重部門責任者のホーキンスも同様だ。職権に余計な権限は認められない。スウィンバーンも等しく、まさか給与の計算に個人の嗜好が反映されるわけもない。この場で当人が所持している履歴が提出されても、改竄かいざんの可能性を考えれば不毛な話で……そも、個人の行動記録プライバシーなどどうでも良いことのはずだ。なぜこんな話になったのか、ペイターは元を辿った。
「第5隊長殿は、娯楽の活用に反対なのですか」
「ちっとも。君はどうかな、ペイター君? 必要だと思うかい?」
「いいえ。私には不要です」
「賢明だな。帰投後は眠るに限る」
 ホーキンスは溜め息を吐いた。「どのくらいもつか賭けをしよう。1ヶ月ひとつき以内に5」
「10」
 ペイターは戸惑った。「……30? 確率パーセンテージで言うなら90……」
 ホーキンスは静かに笑った。
 スウィンバーンは既に椅子に収まっていた。「台帳には付けた」
「えっ……」
 これも“おたのしみ”のひとつなのか。就業規則には賭け事の禁止があったはずだが……
 履歴は誰も見られないのだから、この賭けは自分に有利だ。ペイターは“身の潔白”を確信しつつも現実的な都合も考えてみた。90コーム。安くはないが、高過ぎるということもない。なんなら今すぐにでも払える額だ。仮に倍額だったとしても1ヶ月の収入から出せる。とすると、上官たちが賭けた額はあまりにも少な過ぎる気がした——これは遊びだから、あるいは露呈した時の罰を軽減するため、考えられるとしたらそのくらいだが、なに、真面目に考えることでもない。バレたら上官に脅されたとでも言えば良い。ペイターはこの賭け事と数字を記憶領域の隅に追いやった。
「貴様が関わることになる傭兵起用の予算だが」と、スウィンバーンが再び棒を取る。「例年通りに設定したが、戦況次第では補正もありうる。どの傭兵に依頼し、報酬をいくらにするかも貴様の業務しごとだ。土壇場になって予算が足りませんでした、では話にならない。作戦の難易度もそうだが、我々の都合も考慮する必要がある……奴らは自分が死ぬだけで済むが、我々はそうでない」
「承知しました。傭兵に依頼するのはどういった仕事なんでしょうか?」
「衛兵の排除、未踏領域の調査、友軍の護衛、拠点の強襲、特殊作戦の露払い、なんでも。大抵はシュナイダーから要請がある。第2隊長はどうも部外者がお気に召さないようでね」
「金次第でどんな卑劣も厭わない連中だ、当然だろう」
 それは自分たちも同じでは、と口にしそうになったが、ペイターは飲み込んだ。そうと信じている人間との議論は不毛だ。
 ほか、予算についての受け答えはいくらか続いた。概ねは「いつも通り」のようだ。
 スウィンバーンはファイルを閉じた。
 それから、とホーキンスは付け足す。「スペアの……」
「その件なら問題ない」
「……そうか、なら良いんだ」
「そんなことより貴様の部隊だ。これで3度目だぞ、OSの再インストールは」
「エンジニアは外れを引いてるんじゃないかって言ってる」
「は……貴様の部隊だけが? 搭乗者を調べろ、ウィルスかもしれん」
「それはないよ」
調べたのか? ホーキンス、憶測で物を言うな」
「分かった。分かった……今日にも調べて、報告する。ああそうだ、第10世代のエンジニアも確保したいんだよ」
「それはおいおいだな」椅子が回転する。「ペイター、傭兵以外の起用も貴様の担当か? 第10世代の兼用エンジニアを雇うにはいくら掛かる?」
「ええと……スウィンバーン第7隊長殿ならいくらで雇われますか?」
「私か」存外、嬉しそうな響きがあった。「手当を抜きにして年間……いや、どうだろうな。貴様次第だ、第8隊長。出始めた製品に投資する馬鹿はいない……給与明細はしっかり確認しておくことだ。何をするにしろ、金が付いて回ることは忘れるな」
「はっ、勉強になります」
「ま、仕事はこれから覚えてけば良いよ」ホーキンスはペイターの背中をばんと叩いた。「とりあえず最初の仕事は終わったんだ、フィーカでも奢るよ」
「そのフィーカもただではない」
 会話は終わりそうな雰囲気だ。第8隊長はやっと立ちっぱなしから解放されることに安堵した。なぜ第5隊長は坐らないのだろうか。補佐官の仕事部屋がスタンディングデスクでないことを祈るばかりだ。
 ペイターは廊下まで押し出されていたが、ホーキンスは出て行く直前で用を思い出したようだ。「猛吹雪ブリザードの件だが」
 これもまた作戦ログにあったことだ。6日前、輜重部隊は輸送を完遂できなかった。
「なぜ我々が『弁済』するんだ? 不可抗力だろう」
「不可抗力だろうがなんだろうが、損失は損失だ。貴様の部隊は作戦に失敗した。この事実は覆らん」
「そうかい」ホーキンスは手近のスチール棚を叩いた。「どこかの部隊がどうにかしてやりくりしてるっていう時に、無駄に高性能な装備で仕事してる部隊もあるよな」
「それはどういう意味だ。貴様らが身を投げ出して眠れるのは誰のお陰だと思っている」
「潤沢な資金を都合してくれているスネイル閣下だろう。分かっているさ」
 スウィンバーンは咳払いした。「もう終わった話だ。抗議は本社にでもするんだな」
「スネイルに、だろ?」
 会計責任者はそれ以上言わなかった。消えろとばかりに手を払って、モニターに向き直った。
 展望フロアに戻ってくると、ホーキンスは約束通り、ペイターに自販機のフィーカを奢った。熱く、泥のように舌に絡み付く鎮痛剤は、2体の強化人間を落ち着かせた。
「みんなが命懸けで運んだんだ。しっかり味わおう——せめて私たちは」
 ただではない
「スネイル第2隊長閣下には抗議されるのですか?」ガラス窓一面に広がる、灰と雪をかぶった山々を眺めながら、ペイターは尋ねた。
「いや」ホーキンスは天井そらを仰いだ。「これは『些事』だよ」
 しばらくふたりは景色を前にソファに坐していたが、アーキバスの輸送機が視界に入ると、ホーキンスは指を差して講釈おしゃべりを始めた。