742 B4: 6と7

「シックス! 貴樣……なんといふことを!」
 頭上から、自分を呼ぶ聲がした。眼下では、パルス彈によつて崩壞した輸送機がバラバラと大穴に落ちていく。
「どう……して……?」パイロットの悲痛な叫びがノイズ混じりに聞こえた。腦波形はそれまでと變はらない波を描いてゐる。にもかかはらず、知覺は飽和狀態に逹したやうに外部からの刺激を受け付けようとしない。これは大丈夫だ。これは正常だ。これは適正だ。妥當な解釋。實行。實行した……通常モードへ移行。喚き散らしてゐるのは僚機だ。私ではない。
 歸投し、メーテルリンクがガレージの階段を下りていくと、急に腕を摑まれた。痛い程の力だ。
「シックス! ……」
 ここまで憤慨した第7隊長は初めて見る。だが、作戰の成否を決めるのは彼ではない。
「スネイル閣下がお呼びです」彼女はスウィンバーンの手を靜かに外した。
「貴樣の……貴樣の責任だっ。說明責任を果たすのは貴樣なのだ」
「はい」
 相變はらずこの第7世代强化人間は興奮しやすい。彼の情けない聲を聞くのは初めてでなかつた。報吿を放棄されるのも初めてでなかつた。第7世代の第7隊長がパフォーマンスを發揮するのは、限られた條件下でだつた。メーテルリンクは身なりを整へると、その足でスネイルの執務室に向かつた。
「メーテル!」第5隊長、ホーキンスだ。彼は今にインターホンに呼び掛けようとしたメーテルリンクの肩を摑んだ。
「スネイルは……」
 第2隊長閣下が、どうしたといふのだらう。とくに命令の變更は受けてゐない。ドアが開くと、ホーキンスは一緖に入つてきた。彼もまた、今回の作戰について、何らかの說明義務を負つてゐるのだらうか?
「說明しなさい」
 いつもの冷徹な聲だ。メーテルリンクは餘計な感情に支配されない。
「敵性勢力に對する機密漏洩を阻止するため、當該輸送機は破壞しました。……私の獨斷です」
 部隊の指揮を執るスネイル第2隊長には、機械化された人間をも萎縮させる何かがある。メーテルリンクは彼を前にする度、自分が矮小だと感じる。敵はない、屆かない何かだ。觸れれば壞れてしまふやうな。寄せ付けない高み、とでも表現すべきか。第1隊長には無視されても構はないが、第2隊長に見放されては生きてはいけない——それはアーキバスにゐる誰もが知つてゐる。
「宜しい」背を向けてゐたスネイルが、メーテルリンクに向き直つた。「英斷です」
 かすかに浮かんだ微笑に、彼女も自分の口元が緩むのが分かつた。「光榮です、閣下」
「その調子で續けなさい」
 勝利を勝ち取つた瞬間だ。何に勝つたのかと言へば、それは恐らく、昨日までの自分だらう。彼女は進步したのだ。そしてそれを認められた。搖るぎなき力に。
 じんわりと侵⻝する多幸感。どんな調整にも替へがたい「悅び」。
 失禮しますと振り向くと、まだ背後には呆然とした表情かほの第5隊長が立つてゐた。彼女はその橫をすり拔けた。
「第5隊長、貴方は?」
「いや」ホーキンスは苦笑ひを忍ばせた。「部下の對應を見に來ただけさ」
「さうですか。……ああ、先だつての陽動作戰のことですが」
 メーテルリンクが廊下に出ると、そこには逃げ返つたはずの第7隊長がゐた。お互ひ靜かに敬禮すると、メーテルリンクは作戰の成否を報吿した。
「よくやつたぞお、シックス……それで、それが私の指導の賜物だと、閣下にはご報吿したのか?」
「いいえ……私の獨斷と」
「……」スウィンバーンは溜め息を吐いた。「まあいい。今回は良かつたがな、私に一言添へたらどうだ、第6隊長!」
「以後、氣を付けます」
 その後の豫定として——とくに疲勞は感じなかつたし、バイタルにも不調は見られなかつたが、彼女はマニュアル通り、歸投後の休息リカバリーを取ることにした。休眠用のポッドが設置された手近な假眠室に步を進めると、本日何度目かになる第7隊長の困惑した聲に晒された。「な……なぜ付いてくる」
「休息を取ります」ただ單に、スウィンバーンが前を步き、同じ場所に向かつてゐただけだ。
 中には彼女と彼のほか、誰もゐなかつた。コンソールに生體情報を登錄すると、ポッドが開口した。一方で、スウィンバーンは中央のベンチにどかつと坐つてゐる。メーテルリンクはポッドに足を掛けたが、氣になつて振り返つた。ポッドに收容されると、目の前にスウィンバーンが坐してゐる形になる。眠つてゐる間は意識も無いし、緊急コードが無ければ休眠を妨げないやうにはなつてゐるが、他人の前で無防備になることに、本能的な危機感を感じないでもない。そもそも、なぜスウィンバーンはポッドに入らうとしないのか。
「隊長、お休みになられないのですか」
「貴樣がゐると氣が散る……つまりだな、私にはプライバシーを確保する權利があるといふことだ。分かるだらう」
「では自室に戾られては……」
「それが面倒だからここに來てゐる!」
 確かにスウィンバーンの自室は遠いと言へば遠い。會計責任者を兼任するこの隊長は、まだこの棟で仕事をするのだらう。なるほど、誰かゐたら追ひ出してゐたわけか。ならばさう言へば良い。
「分かりました」彼女は登錄した情報を解除した。「別室に行きます」
「さうしろ!」
 彼女は出入り口に立つたが、それでもスウィンバーンは微動だにしなかつた。
「隊長」呼び掛けると、暗い、疲勞に淀んだ目が持ち上がつた。「お疲れ樣でした」
「貴樣の襃賞は追つて與へる。勞る氣があるなら、一刻も早く私を休ませろ」
 この人からもらふ評價は、いつも金である。分かりやすい指標だ。メーテルリンクは報酬などには興味が無かつたが、反應アクションがある、といふことに關しては氣持ちが動かされないでもなかつた。