344 B4: ⻝堂

 アーキバス・ルビコン支部、カフェテリア。
「第10世代かあ」
 もはや强化人間はマザーボードやCPUと同じだ。每年のやうに新しい術式が開發される。置かれた年月といふ意味ではホーキンスもそこまで「舊い」强化人間ではなかつたが、科學技術は人の時間感覺さへ置き換へた。技術革新の粹と賞讚されたかと思へば、次の日には型落ちと陰口を叩かれてゐる。今第7世代を「買ふ」としたら、それは學習で蓄積された豫測能力と、動作保證に過ぎないのだ。機能と知覺の時間軸サイクル——稼働年數に對して、この「時差ボケ」は割りに合はない。
 それにもかかはらず、望むことは無分別だ。
「若い世代は手術痕すら判らないね」
 ソファに背をもたれ、ホーキンスは皿の上のクラッカーを口に運んだ。
 經口攝取に關して、强化人間は一般的な飮⻝物を消化、エネルギーに變換することが可能だ。だが、强化人間用の滋養劑を攝取した方が、效率的で安全な補給ができることは明白である。外觀と感觸に配慮したメニューがあるにもかかはらず、ホーキンスは「本物」のクラッカーをテーブルに乘せてゐた。他の顏ぶれがこれに手を付ける樣子は無い。彼は鹽の付いた指先をペーパータオルに押し付けた。
「どうなのかな、ペイター君? 今時いまはそれが普通になつてるのかな」
「第5隊長殿はオプションに反對なのですか」
「興味があるから聞いてるだけだよ」
「確かに醫師からは說明がありました。オプションの提示がデフォルトであるなら『普通』と解釋して差し支へないかと」
 肝心のペイターについて語られることは無かつた。
「全く、このままだとブサイクは絶滅危惧種になつちやふなあ。スウィンバーン? ……いてっ」
 ホーキンスが脇の仕切りに手を突つ込むと、思ひきり棒で叩かれた。
 いきなり叩く奴があるか、といふ惡態を飮み込んで、今度は向かひの席に言葉を投げ掛ける。
「君たちにもどんどん後輩が增えていくわけだ……どうだい、焦りなんかは?」
 惱みなら聞くよ、と言はんばかりに彼は腕を廣げた。
「焦る必要はありません」
 落ち着いた、淀みの無い聲だつた。「機能は常に『調整』できます」
「スネイルみたいに?」
「メーテルリンク第6隊長殿は、再手術に抵抗が無いのですか?」
「再手術の成功率は既に70%臺を確立してゐます。技術水準も上がり續けてゐる……受けない理由はありません」
「さうか……ま、人それぞれだ」
 メーテルリンクはホーキンスを見つめた。さも、なぜあなたは受けないのですか、と言ひたげに。今や市場の中心である「ニューエイジ」の目からすれば、第7世代は微妙な位置にある。決定的な性能差は無いとは言へ、敢へて起用する意義も無いのだ。今後數年のうちにも、再手術は當然の處置になる。とすれば、舊い世代から再手術に供されていくだらう。メーテルリンクもそれは理解してゐたから、第5隊長は流れに身を任せたのだ、と「確定」した。どの道その時はやつて來るのだから、焦る必要も、急かす必要も無い。
 誰もが等しく、新しくなる時代になつたのだ。
「……」突然、ペイターは直立した。「トレーニングの時間です」
 ホーキンスは笑みを浮かべた。「行つておいで」
「は、失禮いたします」
 ペイターは一禮すると、隊員たちの雜踏に消えて行つた。
 第5隊長が大人しくなり、もう⻝卓にはなんの變化も無いことを見て取ると、メーテルリンクは皿を重ね、ペーパータオルで⻝べかすを集めた。
「第3隊長と第8隊長は舊知の仲なのですか?」
「さあね……でもオキーフはペイター君を氣に入つてるみたいだ」
「……なるほど」
「君にもさういふ人ができると良いね」
 ホーキンスがメーテルリンクに容姿の話題を振らなかつたのは、彼女の顏を知つてゐたからだ。それもほんの小さな頃から——まだ彼がMTを愛機としてゐた頃、よく寫眞や動畫で自慢されたものだ。アーキバスで再會し、彼の手を離れてからも、彼女は實績を積み上げ、今ではかうしてヴェスパー第6隊長として、第5隊長の彼と肩を竝べてゐる。それは誰に對しても自慢できる功績のはずだ。だが、今と過去を繫ぐ交差路に差し掛かると、ホーキンスは胸を痛めてしまふ。メーテルリンクは「順番待ち」などではなく、志願して强化手術を受けた。ある晚に、彼女はホーキンスのもとを訪れ、その決定を吿げた。ほんのわづかな、氣にもすべきでない可能性のために、彼女は「最期の」言葉を託しに來たのだ。父親の末路を知らないわけはない。彼は兵士として振る舞ふべきか、人間として振る舞ふべきか、選擇に迫られた。だが彼の口を封じたのは、彼女だつた。私はアーキバスです、隊長。
「我々は同志で、連帶の義務があります……友情とは、あまりにも曖昧で、不明瞭で、不安定です」
「さうだね」
 ホーキンスは、狹まつた咽頭パーツに熱いフィーカを流し込んだ。
 そろそろシフトの交代時間だ。喧騷が過ぎ去り、また新たな喧騷がやつて來る。ホーキンスは席を立つた。橫に廣い身體を搖らして出入り口に向かふ。
 ふと振り返つてみる。彼がゐた反對側のテーブルには、グラスがひとつ伏せてあるだけだつた。