「ホーキンス第5隊長殿から直々にご指導を頂けるとは、身に餘る光榮であります」
ペイターは恭しく禮をした。案內されたのは簡素な事務室で、4つの机が向かひ合はされ、モニターとコンソールが乘つてゐるだけだつた。正面のブライドのひとつは上がつてゐて、フレームが歪んでゐた。空は白く、暖かい陽氣だつた。
「他のスタッフは非番なのですか?」
「まあそんなところだ」ホーキンスは靜かな聲で言つた。「君が入つてくるといふんで、ふたりほど榮轉してしまつた」
手前の椅子に坐り、モニターの電源を入れる。「空氣淸淨機は點いてるんだが、どうもここは埃つぽくてね。器官に溜まるやうなら言つてくれ。その程度の洗淨費は出るから」
ペイターは隣に坐つて、システムが起動するのを「待つた」。3世代も前のOSだ。
ホーキンスはシステムにログインした。生體認證ですらない。パスワードは……變更の餘地があるだらう。
「この前の說明にもあつたが、君は情報をまとめて送信するだけでなく、人選や豫算、傭兵との交涉も擔當しなきやいけない。それも、出擊に關係なくだ」
「承知してをります」
「水商賣だからね、口が上手い必要は無いが、愛想が無い對應はどうも受けが惡い。人間つてのは正直だね」
自分向きの仕事だ、とペイターは思つた。なぜなら、彼は他人を不快にさせたことが無いからだ。硏究所でも醫師たちの不評を買つたことは無かつたし、ここでもみな好奇心をむき出しにして彼を歡迎するだけだつた。第7隊長スウィンバーンに關して言へばさう、彼は「指導」をしただけだ。嫌はれたわけではない。
ホーキンスはまづ、メールを確認した。
「このスパムメールとスパムフィルターつてのは何世紀も前からあるわけだが、まるで進步が見られない」
2日前からのメールが2千件以上屆いてゐた。どれも獨立傭兵からのメールには見えなかつた——といふより、區別が付かなかつた。
「宣傳は全部會計部門に轉送して良い。業者との契約はあつちの專門だ。逆に言ふと、私たちは傭兵以外との契約を勝手に締結してはいけない」
「傭兵とのコンタクトアドレスが漏れてゐるといふことですか?」
「賣つてるんだよ、傭兵が。でなきやサーバー業者が收集してるのかもな。いづれにしろスパムメールは不滅だ。諦めるしかない。一應、傭兵用のフィルターは作つてある」
業者は樣々だ。運び屋、武器商人、人材ブローカー、エンジニア派遣、ガレージ賃貸、廢品回收、辯護士、事務代行、廣吿代理店、不動產屋、自由醫師、强化人間專門のオークションといふのもあつた。ペイターは「第10世代」と檢索した時に表示された廣吿を思ひ出した。術後から1年以內の第10世代の買取價格は……
「この」と、ペイターはホーキンスが開いたディレクトリを指差した。「依賴者から送信された情報を整理して、臺本を作るんですね」
既に10件も來てゐる——赤く塗り潰されてゐるのは締切を過ぎた案件だ。3件はふいにしてゐる。そのうち、着任當日からサルベージできたのは2件だ。
「下書きは自動生成されるし、アドリブでやつてくれても構はない。……あ、これが斡旋業者のリストだ。ルビコンは大體オールマインドが仕切つてる」
傭兵支援システム・オールマインド。これを利用してゐる獨立傭兵は多數ゐるが、依賴對象はアリーナランク圈內のみだ。獨立とはいつても全てが企業からの依賴を待ち望んでゐるわけではなく、アーキバスと敵對してゐる傭兵も存在する。
「ブラックリストの管理は作戰部門が擔當してゐる。契約中の傭兵がリスト入りしても驚かないでくれ。あのスネイルが決めることだからね」
基本的な事務處理は自動化されてゐること、作戰の傾向や報酬の配分は過去のデータを參考にすれば良ささうなことを考慮すれば、ペイターに求められてゐるのはタスクの管理と、各部門との連携、傭兵との交涉と言へた。
「君は良い學校も出てるし、元の部署でも硏究所でも良い成績を殘してゐる。だが經歷を見た限り、人の上に立つたことは無いみたいだ——當たり前のことと思はずに聞いてくれ。君は、君の職權全てに責任を取る。部下の不始末や不可抗力にも對處しなければならない。マネージャーは尻を叩いてくれるが、『代はり』はできない。……どうかな、自信は?」
「問題ありません。業務は理解しました。すぐに片付きます」
ペイターは意欲を見せたつもりだつたが、ホーキンスは眞劍な面持ちで彼に向き直つた。「君が覺えることはふたつだ」
「まづ、君の手拔かりで獨立傭兵が死ぬかもしれないこと——つまり、作戰の失敗に繫がることは肝に銘じてくれ。彼らには別段目を掛ける必要は無いが、最低限の義務は果たしてやる。誰も無駄死にさせる道理は無い。優秀な傭兵はいくらゐても良いんだ。とくにアーキバスは出自なんか氣にしないからね。それが將來の同僚になるなんてことも珍しくない。その逆も然りだが……。みんな繫がつてるつてところがこの仕事の複雜で面白いところだ。
次、これが一番重要だが——作戰內容には干涉しないこと。それがどんなに馬鹿げてゐてもだ。實行するのも責任を取るのも君ではない。上には上の意圖がある。お節介や好奇心を働かせるのは良くない。……同樣に、傭兵のやり方にも口を出すべきでない。作戰の成否を決めるのは上であつて、君はその決定を傳逹する使者に過ぎない。傭兵に口を利く時はとくに注意すべきだ。私たちは仕事のやり方ではなく、結果で評價する」
「分かりました」
窓の外でブザーが鳴つた。正午だ。ホーキンスは立ち上がつて、下りてゐた方のブラインドを上げた。舞ひ上がつた埃が、光線に照らされて可視化された。ペイターは通知アイコンの數字が59になつてゐるのを認めた。スパムボットに休みは無い。
「ぢや、13時からシュナイダーの擔當者に會ひに行かう。それまで休み」
ペイターはホルダーから端末を取り出して、電源を入れた。
「それが第10世代の? ……素晴らしい。こつちに來なさい」
シュナイダー作戰統括部門傭兵擔當オフィスの責任者、マンフレッドはペイターを手招きした。この部署の休憩時間は12時半からのやうだ。中には輜重部門を待つてゐた責任者の他、マネージャーのエラッタと、デスクで晝⻝を攝つてゐる數名の從業員しかゐなかつた。マンフレッドの執務室は明らかに疑似煙草の臭ひが染み付いてをり、ペイターの背後に回り込んだ彼自身からもそんな臭ひがした。黑い大理石の灰皿には眞新しい燃え殼があつた。
「なるほど、デバイスが小型化されてるな」
マンフレッドは無遠慮に髮をかき分けて頭蓋の地肌を見た後(手術痕を探してゐたのだらう)、これもまた無遠慮に頸部のコネクタに觸れた。
エラッタはその樣子を自らの端末で撮影してゐた。彼女が隊服の裾に手を掛けたのを見て、ホーキンスは大きく咳拂ひをした。
「私は隊長を見せに來たんだが」
手は名殘惜しく離れた。
ルビコンに來てからのこの3日、ペイターがかういつた「檢査」を受けるのは初めてではなかつた。觸れられるのは不快だつたが、さりとて拒絶する理由も見つからないまま、彼は同志らに愛想の良い最新世代を演じた。
「第8隊長、ペイターです」彼は髮を直しながら言つた。
「配置が輜重部門で良いのかは疑問に思ふところだな。我々としては嬉しい限りだが」マンフレッドは胸ポケットからスティックを取り出した。
「ここは禁煙です」
ペイターは言つたが、火は點いた。
「我々はアーキバスグループの言はば先驅け。第8隊長にはぜひ俊敏で利口な戰力を確保してもらひたいですね。……貴官の任務機を確認しました、シュナイダーはきつとご要望にお應へできるでせう。今後ともご愛顧のほど宜しくお願ひします」
逆關節の三次元機動と連續したパルス攻擊での疊み掛けが、乘機デュアルネイチャーの動きだ。表面上頷きはしたが、彼は全く、構成をアーキテクトに任せてゐた。
「一應のところ、我々は君の指揮下に入るわけだ……樂しみにしてゐるよ、ペイター。君の采配は次世代に響くだらう。つまらぬことで足を引つ張られないやうにすることだ——そこの型落ちに」
マンフレッドはちらりとホーキンスを見たが、舊い强化人間は肩を落とすだけだつた。
「私とマンフレッドは眞人間ですが、然るべき敎育と實踐を積んでゐます。何かあれば貴官から直接連絡を。適切に對處します」
エラッタは灰皿の燃え殼に氣付くと、ゴミ箱の上で逆さにした。灰が飛び散つた。「敎育」を受けてゐるといふ割りには行儀の惡い人間たちだ、ペイターは不穩な氣持ちに取り憑かれたが、口には出さなかつた。
挨拶と案內もそこそこに、輜重部門一行は用を終へた。手土產は何も無かつたが、マンフレッドは第5隊長の廣い背中に釘を差した。
「くれぐれもスネイル第2隊長閣下には宜しく傳へてくれ」
「分かつてる」
オフィスのドアがぴつたりと閉ぢると、上官はただちに、部下に警吿を與へた。
「ペイター君、君はおもちやぢやない」
「はい、理解してをります」
「ならコネクタを觸らせるのはやめるんだ。何か仕込まれても文句は言へない」
「……はい」
ペイターは妥當な見解を得たので、以降、さうしないことに決めた。
彼はなんとも思つてゐなかつたが、上官は何やらむず痒いやうな面持ちで、エレベーターを下りると突然謝罪した。
「この前はすまなかつたね」
この前? ペイターが首を傾げると、ホーキンスは苦笑した。この顏はこの數日で何度も見てゐる。
「奴が見せてくれた豫算案に『貸付金』つてのがあつただらう。これはもうすつかりヴェスパーの『資產』になつてしまつた……かはいさうなことをしたと思つてる」
「はあ……」
「君のことだよ、ペイター君。90はでかかつたね。あいつはなんとしてでも君から取り立てようとするだらう。私は庇ふことも考へたんだが……まあこれも勉强かなつて」
隊員の借入金は、會計規則から算出した割合を、給與から天引きして「返濟」する決まりだつた。
ペイターは笑ひを忍ばせた。
「第5隊長殿、ご心配には及びません。90コーム程度、謹しんでお支拂ひいたします」
今度こそホーキンスは眞顏になり、警句を唱へた。
「お客さん、1口1萬コームだ」