「……ですので、貴方には状況次第でプランBもしくはDを実行してもらいます。準備を怠ることの無いように」
「……来週？ 0400？」
上の空で作戦決行日時を繰り返すフロイトに、スネイルは顔をしかめた。このエースパイロットは戦闘に関しては文句無しだが、それ以外については少なからず問題がある。作戦内容に興味も無ければ、関わる人員にすら注意を払わないのだ。とことんまで自分本位の男。この企業――アーキバスでそれが許されるのは、単に他との圧倒的な戦力差を有しているからに他ならない。
いかなる脅しも通用しない、といったところが、何よりスネイルの鼻持ちならなかった。この戦闘狂が主席隊長だろうが、強化人間を凌駕する作戦成功率を叩き出そうが、一向に構わないが、企業を蔑ろにすることは許されない。だが、灸を据えてやる手立ては無い。拘禁して飢えさせるのが、せいぜいだ。それが時としてもどかしく、苛立たしく、不愉快だった。そう、不愉快だ。旧世代型を前にした時とはまた違った気分の悪さ。これは堂々巡りの悪循環だ。相手にするだけ、無駄。この数年で出た帰結だ。V.I フロイトが、これ以上利口になることは無い。――鬱陶しい人格破綻者め。だから、スネイルはズームインしているカメラを引いて、これをやり過ごす。
ふたりの人間には広過ぎるブリーフィングルームの片側には、灰と雪をかぶり、真っ白になった山々が拡がっていた。窓ガラスではなく、壁面にはめ込まれたモニターだ。フロイトは床に座り込んで、その景色を眺めていた。
「貴方は仕事をすれば良い」
「それが……この世からお前が消える日か？」
一拍も二拍も遅れた付け足しだった。「消える」。そんな風に考えたことは無かった。だが、可能性は付き纏っている。どんなに試験を重ねても、100％には届かないのだ。
「私は常に存在します、フロイト。心配しなくとも貴方を視る眼はきちんと付いている」
フロイトは少し笑った。「お前も、俺も、誰も、一日のどこかで『消える』んだが、今までそんな風に考えたことは無かった。……面白い」
「……」
フロイトが再び自分の世界に飛んで行ったようなので、スネイルは退出することにした。痴れ者の言葉遊びに付き合っている程、このアーキバスは暇ではない。
ACの操作に最適化された身体を振って、硬い床を踏みしめる。非効率の極みは、わざわざ身体を移動させなければならないことだ。通信手段をいかに取り揃えても、建造物の動線をいかに配置してみても、自分の脳はひとつところにしか留まれない。一方の脳がポイントαでプランAを実行し、もう一方の脳がポイントβでプランBを実行する。そんな並列処理が今でもってもできないとは！ 誰もが、いつでも、どこにでも存在していれば、基地すらも必要無いというのに！
「スネイル」去り際に掛かった声に、彼は振り向いた。
「楽しみだ」
こんな時だけ、フロイトはスネイルに向いて言った。モニターの向こうは仄かな陽光に照らされ、空にたゆたった深紅のカーテンが、穏やかに波を形成していた。「殻を脱いで、新しくなる。常に艶のあるお前は、まさに強化人間という感じだ。……起きたら呼んでくれ」
勿論、そのつもりだ。「調整」を続ければ、いつかは人間の可能性も振り切れるに決まっている。この男の生意気な鼻も圧し折ってやれる――そしたら手術室にぶち込んで、その上等ながらもお粗末な脳をぐちゃぐちゃになるまで分析してやる。
「その頃には新しい部品も完成しているでしょう」
今度はフロイトが苦い顔をしたが、お互い様だ。自分の用だけが通るなどと――フロイトとの仮想戦闘はスネイルの利益でもあるが、それを差し引いても、主席隊長の勝手はお釣りが来る。
スネイルはざわめく苛立ちを抑えながら、今度こそブリーフィングルームを後にした。廊下の空気にひんやりとしたものを感じつつ、彼はすぐさま、新しい計画を練り始めた。