快樂を前に腐る「恐れ」より:
原作者のなあなあな態度のせゐで隱れなきやならない? 違ふね、これが「普通」の個人や得意先の企業相手だつたらと考へてみれば良い。彼らの財產を勝手に使はうだなんて考へるだらうか。一行の引用にしろ、かなり愼重に行ふんぢやないだらうか。そのとき彼らに對して感じるのは「恐れ」と「敬意」のはずだ。たまたま見たブログ記事を無斷で書き直して公開する行爲――しかもタイトルは同じ――これを「二次創作」と言ひ張つてる、それが今の私たちだよ。――つまり、日常的には「やつちやいけない」ことが頭に入つてて、法を遵守する人が、なぜか「小說や漫畫やアニメやゲーム相手には」「勝手にやつて良い」と思ひ込んでるんだよね。これつてすつごく恐ろしいことだし、滑稽ぢやない?
「ファン活動」つてファン同士もさうだけど、公式(原作者・權利者ほか制作に關はつた人々)との交流だとも思ふんすよ。つまり、公式にも見せられる活動が前提にあるべきで、もし公式が不愉快・不利益を被る活動をしてゐるとしたら、それは明らかにブランドや作品そのものに傷を付けてゐるといふこと。制作に關はつた人たちも、ファンの言動に好意的なものを感じたからこそ(面倒ごとが增えるのを承知で)ファンコンテンツを前向きに捉へてくれてゐると思ふんだよね。