二次創作の考へ方/二次創作肯定派として

  1. 他を侵す形で自らの正当性を主張しないこと
  2. 敢へてするならば、正当性の根拠を示すこと
  3. 私は創作に際限など無いと思つてゐるが、一方で法を遵守すること、他者の意思を尊重することは大事だと思つてゐる。彼らが権利を保持し主張するならば、適用される法もあるだらうし、利用のされ方に関して希望もあるはずだ
  4. 私は後ろ暗い気持ちで創作などしたくないし、噓も吐きたくない、隠れたくもない
  5. よつて、正当で・自由で・合法な手段と状態で二次創作をしていくこととする
  6. そのために、自分のオリジナル作品を「二次創作可」にすることを提案する:
  7. まづは我々から権利を手放し、見本になるのだ
  8. 創作物の扱ひ、創作に対する態度を示す。これを慣習にする
  9. 二次創作肯定派であればこそ、二次創作可能な創作をするのだ
  10. 公式にガイドラインがあるならそれに従ふ。禁止もしくは沈黙なら、二次創作「しない」

快樂を前に腐る「恐れ」より:

原作者のなあなあな態度のせゐで隱れなきやならない? 違ふね、これが「普通」の個人や得意先の企業相手だつたらと考へてみれば良い。彼らの財產を勝手に使はうだなんて考へるだらうか。一行の引用にしろ、かなり愼重に行ふんぢやないだらうか。そのとき彼らに對して感じるのは「恐れ」と「敬意」のはずだ。たまたま見たブログ記事を無斷で書き直して公開する行爲――しかもタイトルは同じ――これを「二次創作」と言ひ張つてる、それが今の私たちだよ。――つまり、日常的には「やつちやいけない」ことが頭に入つてて、法を遵守する人が、なぜか「小說や漫畫やアニメやゲーム相手には」「勝手にやつて良い」と思ひ込んでるんだよね。これつてすつごく恐ろしいことだし、滑稽ぢやない?

「欲望」からの凌辱/創造の循環より:

「ファン活動」つてファン同士もさうだけど、公式(原作者・權利者ほか制作に關はつた人々)との交流だとも思ふんすよ。つまり、公式にも見せられる活動が前提にあるべきで、もし公式が不愉快・不利益を被る活動をしてゐるとしたら、それは明らかにブランドや作品そのものに傷を付けてゐるといふこと。制作に關はつた人たちも、ファンの言動に好意的なものを感じたからこそ(面倒ごとが增えるのを承知で)ファンコンテンツを前向きに捉へてくれてゐると思ふんだよね。