緋色のテントを切り裂いて、現れたのはガスマスクを着けた二人の兵士だった。
女は自分のリュックサックを抱き抱えると、歯を食いしばった。「出て行って!」
「センターはアライアンスが押収しました。関係者以外は立入禁止です」
「ガスが漏洩してる、あんたもわかってるでしょ?」
「嘘よ――そうやって全部取ってく気でしょ!」
最初に発言した兵士が、アサルトライフルを構えた。「抵抗は……」
もう一人がそれを制す。
「遅効性の毒だ、三日も寝泊まりしてりゃ勝手に死ぬ」
「じゃ――じゃやっぱりあんたたちが出てくる必要なんて無いじゃない! ほっといてよ!」
男たちはマスク越しに顔を見合わせた。止めに入った兵士が、同僚を小突いた。彼は肩を落として、マスクに手を掛けた。
女は身構えた――が、ちょっとした意外さに、眼を瞬いた。
「ガスが漏洩しているのは本当です――我々は一人でも助けたいと思ってます、さあ」
声までも完璧だった。彼は手袋も取った。差し出した手は兵士とは思えないほど細くしなやかで、擦り傷一つ無かった。
「……?」
女は首を傾げた。これは罠か? なぜ私に? うっかり手を取りたい気持ちに駆られ、彼女は困惑した。食糧も底を突き掛けているし、センターの中に入れるわけでもない。ろくに眠れてもいなかった。力のある兵士が素敵に見えるのは、自分が弱っているからだ――
そこへ、マスクを着けたままの兵士が、女の手を取って同僚に触れさせた。「はい」
美丈夫は彼女を抱き寄せると、強引に、しかしゆっくりとテントから引き摺り出した。“霧”は立ち込めており、外にはもう一人ライトを点けた兵士が立っていた。
「生存者一名、お願いします」
三人目の兵士が女を受け取って、領域外へと引っ張っていく。
女は素顔の兵士を振り返ったまま、霧の中に消えていった。
センターに潜り込むと、兵士たちはガスの濃度を確認して、マスクを取った。
「な? 銃より“顔”使う方が早かっただろ?」
取らなかった方、モリ・カドルは言った。
「そうですかね」
ご活躍だった美丈夫、ジャウザーは言った。肺が重い気がして、彼は軽く咳き込んだ。
「でなかったらそのうち“やれ!”って喚いてたよ。良い顔は鎮静剤ってわけさ」
端末で施設内部の図面を確認しながら、狭い廊下を進んでいく。
「ほんとに“顔認証”ですべてが上手くいくなら世界は平和になってるんですが」
「たぶん四割くらいはブス専なんだろ」
「しかし力不足という気がします、身近な人を魅了できないようでは」
「だな、あの隊長オトしてみろ」
「……」
これだ、とモリは立ち止まると、携行のレーザーブレードを取り出して、床の鉄製扉のフレームを焼き切った。ほら、と声を掛けると、二人で重い扉を持ち上げる。
「どう思う?」
ぽっかりと空いた口からは、錆び付いた鎖で束ねられた、兵器の弾頭が見えた。
「『洗浄』するコストを考えると……」
「トロット・S・スパーはでかしたって言うと思うよ? でもあの隊長はこうやって腕組んでさ」と、そのポーズを取ってみせ、顔を斜めにそらす。「『他に成果は無かったのか? 敵勢力や物資は? やはり私でないと駄目だったか』……って言うんだぜ!」
声を作って言うので、ジャウザーは笑ってしまった。この同僚と組んだときのメリットの一つだ。
二人は兵器の画像を本部に送信すると、後続部隊に合図を送って、早々と作戦領域から撤退した。
モリ、ジャウザー両名は、センターの望める発着場まで戻ってきていた。自分たちのACはすでに輸送機に積載されている。もう一台の輸送機では、仕留めた獲物の残骸が取り付けられている最中だった。
座席で同僚のライフルに付いた鴉の装飾が揺れるのを眺めながら、ジャウザーは溜め息を吐いた。
「これからのスケジュールを考えると、ちょっと緊張します――」
「一時間後にはパリッとしたスーツ着てさ、一度しか会わない奴らのためにへこへこすんの。馬鹿らしい」
それが企業戦士として働く、ということである。最強兵器ACを駆る傭兵でありながら、企業複合体に身を置く二名は、企業との浅くはない縁のために、戦術部隊の面々から「営業」を任されることが多かった。それだけでなく、先日バーテックスなる組織が宣戦布告をしたために、今日は重役が集まって、今後の戦略を練ることになっていた。「企業然とした」会議に臨むというのは、両名にとっても初めてのことだった。
輸送機が飛び立って、二人を断続的に揺らしても、しばらくは会話が無かった。モリが端末から顔を上げるのを見計らって、ジャウザーはそれとなく問い掛けた。
「そういえばまだ聞いてなかったですね」
「なにを?」
「『あなたを殺す方法』」
モリは微笑んで、片膝を立てた。
「僕が寝てるだろ――時間は中途半端に十時四十二分だ、君はにっこりして『ご注文のピザです』って言って、出てきた僕を撃てばいい。簡単だろ」
ジャウザーは俯いて、笑った。それはモリ自身が実行していた作戦である。
「顔は隠しちゃ駄目だぞ、一発で殺し屋だってバレるからな」
それからちょっと考えて、
「でも、あれか――君みたいなのがピザ運んでるってのも変な話だな」
「どうすればドアを開けてくれます?」
「んー……」彼は考えを進めた。
「そうだな、『おめでとうございます、本日付であなたが戦術部隊の隊長に就任しました』でいんじゃね?」
「あはは」ジャウザーは乾いた笑いを洩らした。「それこそ、一発でバレますよね?」
モリはにんまりして、「なんだよ、万一にもあるかもしれないだろ」
「どっちにしろ、あなたは逃げますよね」
「じゃ、ドア蹴破って殺しに来ればいい――ストレートに――そのときは顔隠しとけよ」
「なんで?」
「その眉間にぶち込むのはかわいそうだから」
ジャウザーは笑いを潜めて、やっぱり途方に暮れた。
「あなたは嘘しか言わない」
「馬鹿正直に答える方がどうかしてる」
「だから、世の中嘘吐きばかりになってしまうんですね」
「正直者も大概怖いけどね、“あなたを殺す方法”」
「トリックは苦手なんです」
「一番楽しいところなのに?」
「おちょくられる方は、たまったもんじゃないですよ」
「ならやり返しゃいい」
「それができたら……」
着いたぞ――操縦士の声で、二人は顔を上げた。軍事施設を除けば、現存する建造物では一番立派な、そして新しい「機構」及び「住居」。半分は企業の幹部らがのうのうと暮らしている。残念ながら、彼らの寮はこの領域に無い。
「モリ・カドル!」
輸送機が着陸すると、ジャウザーは隣棟に向かう同僚に、声を張り上げた。
「私を殺すときは、通信なんて入れないでください」
「わかった、ばしばし入れる」
「それで、私はあなたを黙らせるために殺すんですよ」
「完璧だね」
自分から言い出したものの意味がわからなかったので、彼はがっくり肩を落とした。ジョークというのは難しい。同僚のような軽口とはいかない。
これからシャワーを浴びて、マネージャーの用意したスーツに身を包んで、言われた通りの香水を振り掛けて……同僚の背広姿なんて想像できない。親戚にいた保険の勧誘員みたいになってしまうのだろうか?
そこで、ぱっと彼の脳に電球が点った。
「あなた、ネクタイ自分でできます?」
モリは背を向けたまま手を振った。
よし……とジャウザーは拳を作った。
けれども、結局、モリは控え室に向かう廊下でエヴァンジェ隊長を捕まえて、解決してしまうのだった。